恵比寿ガーデンプレイス(YGP)、東京
(A)社長の決断
- ケース

「今日、我々は、あの時がバブル時代の終わりであったことを知っている。しかし、あの当時、日本で何が起こっているかを理解できなかった。それは、我々の人生で初めての経験だったのだ。」 1991年、サッポロビール株式会社の代表取締役社長、荒川和夫は、厳しい決断を迫られていた。
ビール業界の構造的課題を克服すべく、人々の生活を豊かにするという理念を掲げ、ブランド名である「恵比寿」の地で新たな主力事業として進めていた都市再開発事業の総費用は当初予算の2倍に達していた。それでも、この新しい不動産事業からは充分な収益が生まれることが見込まれ、既にゼネコン各社との契約段階にまで漕ぎつけていた。
しかし、地価の上昇が止まり始めると、日本人の誰もがこれまで経験したことのない兆候が現れ始める。続いて起きたオフィス、住宅、商業における不動産市場の暴落をともなった急激な景気後退は、サッポロが負うことになる巨額の費用負担がこの事業の収支だけでなく会社にも大きな打撃を与える可能性を示唆していた。取締役会は間もなく開催される。荒川は、この事業を進めるべきなのか、今こそ決断しなければならなかった。
関連ケース
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Yebisu Garden Place (“YGP”), Tokyo
(A) The President’s Decision
¥ 880
¥ 726